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ブラタモリ前橋ダイジェスト!(という名の長編)

やってきました、ブラタモリ~!(草薙くん風)

前橋です!我らが!群馬の!県庁所在地!MAEBASHIです~!

楽しみ過ぎて1時間前からテレビの前で待機してました。
結論、ほどよく中身がつまってて、登場人物も安定感があり、アナウンサーのキャラも立っていて良い回だったとおもいます!(どちらさま目線?)

ということで、きちんと見た人もそうでない人も、改めておさらいしましょう。
とか言って自分がまとめた情報を記しておきたいだけ説ですが、興味ある方ぜひお付き合いください笑

■イントロダクション

さっそくですが、今回のテーマは「なぜ前橋は関東の華なのか?」です。
グンマーという自虐性を植え付けられている私からすると、華とか言って大丈夫なのかな・・・と正直ハラハラしてました。
が、最初に登場した案内役の方もそこは承知の上なのかとても謙虚で、かつトークの安定感もあってめちゃくちゃよかったです。

博識なタモリさんも前橋についてはさすがにあまり詳しくなかったようで、なぜ華なのか?をさぐる旅に出るのでした。

■そもそも前橋ってどんな地形?

なぜ華なのかを解き明かすための第一歩。
ブラタモリといえばもちろん、地形です!

前橋の地形がどんなことになっているのか、その特徴があらわれてると最初に紹介されたのが「岩神の飛び石」でした。
地元の方には有名なんでしょうか?富岡出身の私は知りませんでした。

岩神の飛び石は地上10メートルの巨岩ですが、なんと地中にも10メートルほど埋まっているそうで、実際は20メートルあるとのこと。
なんで町中にこんな巨岩があるのかというと、2万7千年前に起きた浅間山の山体崩壊による大規模な土砂崩れで運ばれてきたそうです。
その距離なんと70キロ。にわかに信じがたい距離ですが、、、大自然のエネルギーってすごいんですね。

で。運ばれてきた当初はこの巨岩も全体が土砂に埋まっていたそうです。
ただ長い年月をかけて上半分の土砂が侵食されて、巨岩の一部が地上に出てきている状態。

つまり!

前橋には、10メートルほど浸食されているエリアがあるよ!ということの証左なのであります。

この浸食により低くなっているエリアを「広瀬川低地」、浸食から逃れた高い部分を「前橋台地」と呼ぶそうです。
まったく初耳でした。

広瀬川低地前橋台地は、このあとも出てくるキーワードなのでおさえておいてください!

(ちなみに地形の説明で登場した先生、今回で7回目という超常連さんですがまさかの前橋出身らしく地味に嬉しかったです)

■高低差が生んだ最初の「華」

前橋の地形は「広瀬川低地」と「前橋台地」がある、ということが分かりました。

高低差あるところに、縁(ヘリ)がある!
ヘリあるところに、人類の繫栄がある!
・・・というのは、ブラタモリ常連の方なら暗黙の了解かと思います。

今回も、高低差のヘリを利用して栄えた古代の豪族こそが「最初の華」として紹介されました。

広瀬川沿いにある前橋台地の段丘涯を上った先にある「八幡山古墳」がその証拠です。
この古墳は4世紀につくられ、東日本最大の前方後方墳として有名なのだとか。
まさか教科書でもレアな前方後方墳がこんな身近にあるとは知りませんでした。

古墳の大きさはそのまま時の権力の大きさを示します。
前方後方墳が流行った3~4世紀において、かなり有力な豪族が前橋の地に住んでいたことがうかがえます。

ちなみに古墳はココだけでなく、近隣3キロに渡り200基が連なる巨大古墳群となってるそうです。

古代豪族たちが栄えた前橋。これが最初の華でした!

■家康に「華」と呼ばれた前橋城

次の華はズバリ、前橋城です。
・・・前橋城?

すみません、ながらく群馬県民やってますが、その城の名前をまともに認識したことなかったです。。。

まぁ私の無知さは置いておいて。
前橋城は戦国時代のころから武田・上杉・北条などの有名武将たちに目をつけられていて、江戸時代には関東七名城に入るほど栄えたお城だったそうです。

へー。

で、1601年に徳川家康が重臣 酒井重忠に対して「汝に関東の華をとらせる」と命じて、前橋城に入城させたそうです。
その記録が今回のテーマである「華」に繋がってるんですね。

家康をして「関東の華」と言わしめる魅力が、当時から前橋城にはあったのでしょう。

なお、前橋城のお堀に水を引くための風呂川と、そこにどうやって低地にあるはずの広瀬川から水を引いてるかのくだりは、どうやっても長くなりそうだったので泣く泣く割愛します。

■前橋城の危機

そんな前橋城ですが、もちろん前橋台地のへりに建っていまして、すぐ隣を利根川が流れています。
この利根川が、残念ながら年々前橋城の敷地を侵食していったそうです。
江戸時代の古地図によると、1740年ごろには前橋城の本丸の一部までもが川に削られていました。

タモリさん曰く、「これは川の宿命として予測できることなんじゃ、、、」だそうです。

確かに、、、。

いちおう、当時なりに河川改修で対応しようとしたようですが、江戸幕府から許可がおりずに、自然の成り行きにまかせるしかなかったようです。
何か許可をおろしたら良くないことでもあるのかなとか勘ぐっちゃいますね。
前橋が繁栄して権力持ち過ぎてたとか、、?(それは無いか、、)

てなわけで、残念ながら1769年に前橋城は姿を消したそうです。

■復活!前橋の華

前橋城がなくなり華を失ったかのように見えた前橋ですが、明治以降にまた脚光をあびる時期が来ます。
そう、群馬と言えば絹産業ですね!

前橋の生糸はヨーロッパでも人気だったそうで、国内はもとより外貨もじゃんじゃん稼げたようです。

あの岩倉具視が前橋シルクに対して「日本の華なり」と表現したとか。

そんな景気のよかった時代を象徴するのが、臨江閣(りんこうかく)という迎賓館。
皇室を迎える専用施設として、なんと当時の前橋商人たちが共同出資で建てたそうです。

私も臨江閣は見学に行ったことありましたが、そういう施設だとはまったく記憶に残っていませんでした。。

しかしタモリさん、臨江閣の内装をみて一目で「これは、、只者じゃないですね。明治天皇ですか。」と言い当ててました。
すごすぎる。ちなみに、するどいタモリさんの発言に案内人がわたわたするのブラタモリの醍醐味です。

■前橋よ永遠に

そして最後に、話は前橋城に戻ります。

利根川大暴走で一時は取り壊された前橋城ですが、実は幕末に場所を変えて再建されていました。
その後、明治に入ってからは前橋城の建物が群馬県庁舎として使われていたそうです。

今の県庁はめっちゃ高いビルですが(そういえばいつかのドクターXで大門ミチコが務める大学病院ロケ地になってた)、その前まで使っていた「昭和庁舎」がある場所が、実は再建された前橋城の跡地。

今はカタチが残っていませんが、かつて栄華を誇った(のか?)前橋城に思いを馳せながら、昭和庁舎をながめたところでブラタモリ前橋は終了です。

・・・・・え、めっちゃ長い笑

ということで45分番組の内容を長文でサマってみました。
タモリさんが歩いたコースは誰でも入れる場所ばかりだったので、私もぜひ行ってみたいです。

完全なる自己満でグーグルマップに行くべきポイントをまとめてみました。
カメラがまわっていたところは全部おさえたつもりです!
(地図では分かりにくい風呂川を追いかけるコースも、ストリートビューで探し当てました笑)

ご自由にご活用ください~