インターゾーンの全社員が月1回参加しているフィロソフィー研修なるものがあります。
略してフィロ研。ありがたみ半減以下のネーミング。
フィロ研は、仕事を通じてより豊かな人間性を育むための考え方や取り組みかたを学び意見を交換し合う場です。
そのフィロ研の中で話題にあがった、悲観的で緻密に計画を立てるという話が、昨日から今日にかけてボディーブローのようにじわじわと効いてきました。
・悲観的な計画とは想像しうるあらゆる課題やリスくを潰しきること
・悲観的な計画はいわゆるネガティブではなく、目的を達成するための課題の洗い出しだからむしろとても前向きな取り組み
・悲観的=超現実的
などなど。
出てくる話すべてまったくその通りだと、心の中で首がいたくなるほど縦にふってました。
実はちょうど、「働き方改革」という別の全社取り組みの中で私がやりたいこととしてあげたことが、「現実的に無理なものはムリと言えて、そこから前向きな課題解決をできる風土をつくりたい」みたいな内容で、まさにフィロ研にあった悲観的で緻密な計画のことだったのか!と、自分自身すっきりしました。
悲観的で緻密な計画であればあるほど、どんなささいな課題も、また最悪のケースのリカバリもすべて解決する方法が盛り込まれているわけで。
そこまで想定できてあとは行動するだけとなれば、ヒトは強いだろなー!
ちなみに今の自分の行動計画は、そういう意味では緻密さ0.1%くらいという認識。。
目標をやりきりたいという大前提にたった上で、冷静に現実的に課題を出し切るつぶしきる!という計画の立て方にならねばならぬと実感している10月の朝でした。